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天地開闢と国産み

日本の神話と縁の社

「古事記」「日本書紀」に記されている日本の神話。
その主な内容と縁の神社をご紹介いたします。

※神話の内容や御神名は、

古事記の内容・表記をメインに、日本書紀をサブ的に参考にしました。

神代(かみよ)

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天地開闢(てんちかいびゃく)と国産み

渾沌たる世界が「陰・陽」に分離して「天・地」と成った。


この天地開闢とともに、世界の基本的な動きや要素を成り立たせる「根源神」が生まれていく。


この根源神には、「性別のない神々」と「性別のある神々」があり、性別のある神々の一対として、「伊邪那岐(いざなぎ・男性神)」と「伊邪那美(いざなみ・女性神)」が生まれ出でた。

伊邪那岐と伊邪那美は、天浮橋(あめのうきはし)に立ち、天沼矛(あめのぬぼこ)で渾沌とした大地をかき混ぜた。


引き上げた矛先から落ちた滴りは、固まり島となる。この島を淤能碁呂島(おのごろじま)と言う。

伊邪那岐と伊邪那美はその淤能碁呂島に降り立ち、「国土産み」を試みるが、最初に生まれたのは水蛭子(ひるこ)であった。


その後国土産みのための儀式を行ないなおし、国土となる島々を産み落としていく。

最初に淡路島・四国・九州・本州などの八つの島、続いて姫島・五島列島などの六つの島が造られた。

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自凝島神社(おのころしまじんじゃ)<兵庫>

伊邪那岐と伊邪那美が最初に作った島「淤能碁呂島」の伝説が残る神社。兵庫県淡路島に鎮座している。

西宮神社(にしのみやじんじゃ)<兵庫>

生まれた後、葦の舟に入れて流された「水蛭子(ひるこ)」がたどり着いた場所(御前浜)との伝承が残る地に建立された神社。全国の蛭子神社(えびすじんじゃ)の総本宮。

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伊邪那美(いざなみ)の死と黄泉の国

国土産みを終えた伊邪那岐と伊邪那美。その後も海や山、水や石などを司る神々を生み出していく。

 

その後火の神である「火之迦具土(ほのかぐつち)」を生み出す際、伊邪那美は炎に躰を焼かれ亡くなってしまう。

悲しみと怒りのあまり、火之迦具土の首を刎ねる伊邪那岐。


それでも悲しみ治まらぬ伊邪那岐は、伊邪那美に会いたいとの思いから「黄泉の国」へと足を踏み入れる。


黄泉の国は死者の世界。そこには変わり果てた伊邪那美の姿があった。


伊邪那岐は黄泉の国の闇と穢れ、そして死者となった伊邪那美の姿に恐れおののき一目散に逃げ出してしまう。

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産田神社(うぶたじんじゃ)<三重>

「伊奘冉尊(いざなみのみこと)」が「軻遇突智(かぐつち)」を産んだ地と伝えられています。伊奘冉尊の亡骸は付近にある「花の窟」に葬られたとも伝えられています。

花の窟神社(はなのいわやじんじゃ)<三重>

火の神・軻遇突智尊(かぐつちのみこと)を出産し亡くなった伊弉冊尊(いざなみのみこと)の墓地と伝えられる地。※日本書記に記されている。

揖夜神社(いやじんじゃ)<島根>

黄泉の国から逃げた伊邪那岐がたどり着いた現世との境界線・「黄泉比良坂(よもつひらさか)」。その場所に祀られた神社との伝承がある。

秋葉神社(あきはじんじゃ)<静岡>

御祭神は「火之迦具土神」。火防鎮護の神として祀られている。全国の秋葉神社の総本宮。

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伊邪那岐(いざなぎ)の禊(みそぎ)と三貴神の誕生

黄泉の国から現世へと戻った伊邪那岐。その穢れを祓うべく、「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」で禊祓いを行う。

伊邪那岐が禊の前に投げ捨てた帯や衣装からは、災厄を防ぐ神、煩いを司る神などが生まれ出でた。


衣を脱ぎ水中に身を浸すと、穢れから生じた不浄の神々、穢れを祓う浄化の神々、海の神などが次々と生まれ出でた。

 

海神である「底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)、中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)、上津綿津見神(うわつわたつみのかみ)」や、航海の神とされる「底筒之男命(そこつつのおのみこと)、中筒之男命(なかつつのおのみこと)、上筒之男命(うわつつのおのみこと)」はこの時に生まれた神々である。

そして、禊の最後に左目を洗うと「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」が、右目を洗うと「月読命(つくよみのみこと)」が、鼻を洗うと「須佐之男命(すさのおのみこと)」が生まれ出でた。


この「三貴神」の誕生に伊邪那岐は大いに喜び、天照大御神に「高天原(たかまがはら)」の統治をゆだね、月読命には「夜の国」の統治をゆだね、須佐之男命には「海原」の統治をゆだねることとした。

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江田神社(えだじんじゃ)<宮崎>

伊邪那岐が禊を行った「筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原」と伝えられる場所。社殿の奥には「みそぎ池」がある。

住吉大社(すみよしたいしゃ)<大阪>

伊邪那岐が禊を行った際に生まれ出でた、「表筒男命」「中筒男命」「底筒男命」をお祀りしている。この三柱の神は「住吉三神」と称されている。全国の住吉神社の総本宮。

皇大神宮(こうたいじんぐう)<三重>

通称「伊勢神宮・内宮」。御祭神は天照大御神。天照大御神は天皇・皇室の祖神であるとされている。

高天彦神社(たかまひこじんじゃ)<奈良>

「高天原の伝承地」に建てられた神社。奈良県西部にある金剛山の中腹に鎮座。

月読神社(つくよみじんじゃ)<京都>

御祭神は「月読命」。松尾大社摂社として、京都市西京区に鎮座。延喜式神明帳には名神大社としてその名が記されている。

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天照大御神と須佐之男命の誓約(うけい)

海原の統治を命じられた須佐之男命であったが、伊邪那美の住む根の国(黄泉の国)に行きたいと泣き叫び、天地に大きな被害を与えてしまう。


これに怒った伊邪那岐は、「それならばこの国に住んではならぬ」と須佐之男命を追放する。

(それから伊邪那岐は「多賀」の地に身を鎮め、その役目を終えることとなる)

追放された須佐之男命は、姉である天照大御神に会うため高天原を訪れる。


この訪問を天照大御神は「須佐之男命が高天原を奪いに来たのだ」と考え、武装して須佐之男命の前に立ちはだかる。


この疑いを解くべく、須佐之男命は「誓約(うけい)」を提案する。

(※誓約とは、古代に行なわれた正邪を判断する占いのこと)

この誓約により、天照大御神は須佐之男命の持っていた剣から三女神を生み、須佐之男命は天照大御神の持っていた勾玉から五男神を生んだ。


これにより心が清い事を証明された須佐之男命は、高天原に入ることを許された。
(※古事記では、剣から三女神が生まれたため心が清いと判断がなされ、日本書紀では、須佐之男命が男神を生んだことで勝ちと判断されたと伝えている)

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伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)<兵庫>

伊邪那岐が役目を終え身を鎮めた「幽宮(かくりのみや)」に建てられた神社と伝えられている。鎮座地には多賀の名が付されている。

多賀大社(たがたいしゃ)<滋賀>

伊邪那岐が身を鎮めたとされるもう1つの伝承地。琵琶湖より7kmほど内陸に進んだ多賀の地に鎮座している。

宗像大社(むなかたたいしゃ)<福岡>

誓約によって生まれた「三女神」を祀る神社。沖津宮、中津宮、辺津宮の3つの神社によって成り立っている。大陸交易を守護するため、この地に祀られたと伝えられている。

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天岩屋戸(あまのいわやと)

高天原で過ごす須佐之男命であったが、その傍若無人ぶりと乱暴のほどは酷いものであった。


はじめは須佐之男命をかばっていた天照大御神だが、その度を越した酷さに怒りそして怖れ、「天の岩屋」に身を隠してしまう。


これにより高天原と葦原中国(地上)は闇の世界となり、様々な災禍が生じていった。

これに困った八百万神は、「天安河(あまのやすかわ)の川原」で相談を行ない、「思金神(おもいかねのかみ)」の案に従い岩屋戸の前で祭儀を行なうこととなる。

鶏を集めて鳴かせ、「八咫鏡(やたのかがみ)」を作らせ、「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」を作らせた。


鏡と勾玉は榊の枝にかけ、御幣として奉げ持った。


「天児屋命(あめのこやねのみこと)」は祝詞を唱え、「天宇受賣(あまのうずめ)」が半裸となり舞を舞う。八百万神は笑い声をあげ、それが高天原中に鳴り轟いた。

天照大御神はその様子に関心を抱き、天の岩屋戸をわずかに開く。


身を乗り出す天照大御神を「天手力男(あめのたぢからお)」が戸の外に引き出し、再び戸内に入られぬよう「布刀玉(ふとだま)」が注連縄を張り巡らせた。


これにより天地は輝く光を取り戻すのだった。

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天岩戸神社(あまのいわとじんじゃ)<宮崎>

「天岩屋」と呼ばれる窟をご神体としている神社。神社から徒歩10分の地に「天安河原」呼ばれる洞穴もある。

日前神宮・國縣神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)<和歌山>

 「八咫鏡」に先立って造られた鏡とされる「日像鏡(ひがたのかがみ)」および「日矛鏡(ひぼこのかがみ)」をご神体としています。

枚岡神社(ひらおかじんじゃ)<大阪>

祝詞を唱えた「天児屋命」を御祭神としてお祀りする神社。この御祭神を春日大社に勧請したため、元春日とも呼ばれている。

春日大社(かすがたいしゃ)<奈良>

枚岡神社とともに「天児屋命」を御祭神としてお祀りしている。

椿岸神社(つばききしじんじゃ)<三重>

御祭神は、「天宇受賣命」。猿田毘古神をお祀りする椿大神社の境内内に別宮として鎮座している。

大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)<徳島>

御祭神として「布刀玉神」をお祀りする神社。布刀玉神の子孫がこの地に先祖神をお祀りしたことが始まりとされている。

戸隠神社(とがくしじんじゃ)<長野>

「天手力男をはじめ天岩屋戸神話ゆかりの神々」を御祭神をお祀りしている神社。鎮座地の戸隠山は、投げ飛ばされた「岩戸」が飛来してできたものとの伝承がある。

玉祖神社(たまのおやじんじゃ)<山口>

天岩屋戸神話において、八尺瓊勾玉を作ったとされる神「玉祖命」を御祭神とする神社。

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追放された須佐之男命と八岐大蛇(やまたのおろち)

須佐之男命(すさのおのみこと)は高天原を追放された。

そして「出雲国の肥河(ひのかわ)の上流の鳥髪(とりかみ)」という地に降り立った。

川上に進むと老夫婦が泣いている。話を聞くと、「八岐大蛇」という怪物が毎年のように現れて、娘を1人ずつ食い殺し、今度は末娘の「櫛名田比売(くしなだひめ)」の番なのだという。

須佐之男命は、櫛名田比売を妻として貰い受けることを条件に八岐大蛇退治を請け負い、見事にこれを成し遂げる。


八岐大蛇の尾からは太刀が出てきたと伝えられ、この太刀は天照大御神に献上された。

この剣を「叢雲剣(あめのむらくものつるぎ・草薙剣)」という。

その後須佐之男命は、櫛名田比売とともに住む地を求め、すがすがしいと感じる場所にたどり着く。


後に「須賀(すが)」と名づけられるこの地に宮殿を造り、立ちのぼる雲を見た須佐之男命は、「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を(盛んに湧き立つ雲が、妻とともに暮らす宮のめぐりに八重垣を作る、見事な雲の八重垣を)」との歌を詠む。

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斐伊神社(ひいじんじゃ)<島根>

肥河は現在の「斐伊川(ひいがわ)」とされる。斐伊神社はその上流に位置し、「八岐大蛇伝説の舞台となった」と伝えられる地に創建された神社。

温泉神社(おんせんじんじゃ)<島根>

 稲田比売命の両親(足摩槌命、手摩槌命)が住んでいた地であり、「八俣大蛇伝説」の舞台とされる場所。

石上布都魂神社(いそのかみふつのみたまじんじゃ)<岡山>

須佐之男命が八岐大蛇を倒した「十拳剣(とつかつるぎ)」が安置されていたとの伝承が残る神社。

石上神宮(いそのかみじんぐう)<奈良>

八岐大蛇を倒した「十拳剣(とつかつるぎ)」をご神体とする神社。この剣は元は石上布都魂神社に祀られていたという。

熱田神宮(あつたじんぐう)<愛知>

八岐大蛇の尻尾から出たとされる「草薙剣」を祀る神社。

須我神社(すがじんじゃ)<島根>

須佐之男命が「すがすがしい」と感じ、櫛名田比売との新居をかまえた地との伝承地に鎮座する社。

八重垣神社(やえがきじんじゃ)<島根>

八重垣神社にも、須佐之男命と櫛名田比売が住んでいた土地との伝承が残っている。

須佐神社(すさじんじゃ)<島根>

「出雲国風土記」にて、「須佐之男命の御終焉の地」と記されている霊地。須佐之男命がこの地を開拓後、自分の名をつけたとの伝承が残されている。

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因幡(いなば)の白兎と大穴牟遅(おおなむち)の試練

時は流れ、因幡国(現在の鳥取県)。


須佐之男命の子孫である「大穴牟遅(おおなむち・大国主命)」が気多の岬で皮をむかれ傷ついた兎に出会う。


傷の理由を聞くと、鮫に皮をむかれ、先ほど通りかかった大穴牟遅の異母兄弟達・八十神(やそがみ)に嘘の治療法を教えられたことが原因だという。


大穴牟遅は兎に正しい治療を施し、兎の体は元に戻ることができた。


八十神と大穴牟遅がこの地を通りかかったのは、因幡の八上姫(やがみひめ)のところに求婚するためであった。

八上姫はこの兎から経緯を聞き、大穴牟遅の妻となることを決めるのだった。

この結果に怒る八十神は、大穴牟遅を計略にはめ殺してしまう。


大穴牟遅の母は神産巣日神(かみむすびのかみ)に救いを請い、大穴牟遅は生き返えらせた。

しかし再び八十神に襲われ命を落とす大穴牟遅。

 

再度母によって蘇った大穴牟遅は、母の導きにより、須佐之男命が住む「根の国」に向かうことになる。

根の国に到着した大穴牟遅。

その姿に須佐之男命の娘「須勢理毘売(すせりびめ)」は一目ぼれをする。


須佐之男命は大穴牟遅に数々の試練を与えるのだが、須勢理毘売の手助けなどもあり、それらの全てを成し遂げてしまう。


その後須勢理毘売とともに根の国を逃げ出す大穴牟遅。

それに気づいた須佐之男命は、逃げる二人を追いかけつつも「大穴牟遅よ、八十神たちを追い払い、お前が『大国主(おおくにぬし)』となれ」との言葉を送る。


根の国を出た大穴牟遅は、その言葉通り八十神を追い払い、国造りを始めていくのであった。
※『日本書紀』にはこれら説話の記述がない。

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白兎神社(はくとじんじゃ)<鳥取県>

白兎神社付近の海岸は、大国主が白兎を助けた「気多崎」との伝承が残る土地である。

御井神社(みいじんじゃ)<島根>

 大国主神と結婚した「八上比売(やがみひめ)」が、御子を出産したと伝えられる伝承地。

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大国主(おおくにぬし)の国造りと国譲り

大国主は「出雲の美保岬」で「少彦名神(すくなひこなのかみ)」と出会う。


少彦名神は生みの親である神産巣日神より、大国主と一緒に国造りを行なうよう命じられ、二神は葦原中国(あしはらなかつくに・地上)の国造り、いわば開発と経営を進めていった。

その後、少彦名神は常世(非現世)へと旅立つ。

途方に暮れる大国主であったが、「大国主の幸魂・奇魂(さきみたま・くしみたま)である」と語る「大物主(おおものぬし)」より、「丁重に私を祀れば、国造りに協力しよう」との啓示があり、大和国の御諸山(みもろやま)に祀ることとなる。

大国主が葦原中国(地上)の国造りを進めるころ、高天原の天照大御神は「葦原中国を統治すべきは、天照大御神の子孫である」と宣言をする。


天照大御神の命を受け「天忍穂耳命(あまのおしほみみのみこと)」は天の浮橋より地上の様子を探るのだが、その騒がしさと乱れように「自分の手には負えない」と高天原に戻ってきてしまう。


次の使者は「天穂日命(あまのほひのみこと)」であったが、大国主の人柄に感銘を受け帰順してしまう。
次に送った「天若日子(あめのわかひこ)」も失敗。


高天原は頭を悩め、剣と雷の神である「建御雷神(ためみかづちのかみ)」を派遣する。
※日本書記では、「経津主神(ふつぬしのかみ)」も派遣される。

武による威嚇をもって、大国主に国譲りを迫る建御雷神。


大国主は、まず息子の「事代主(ことしろぬし)」の意見を聞きたいと言い、事代主は建御雷神の申し出を承諾。
そこへ大国主の息子の1人である「建御名方(たけみなかた)」が現れ、力比べを申し出る。この力比べは建御雷神の勝利に終わる。


この結果を見て大国主は、「天の御子が住むような立派な宮殿を作ってくれるならば」との条件で国譲りを承諾し、高天原に復命したのであった。

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美保神社(みほじんじゃ)<島根>

大国主と少彦名神が出会った「美保岬」と伝えられる地に建立された神社。美保の地は事代主神ゆかりの土地でもあり、事代主神を御祭神とする恵比寿神社の総本宮となっている。

粟嶋神社(あわしまじんじゃ)<鳥取>

 大国主とともに国造りを終えた少彦名神が、「常世の国に旅立った地」との伝承がある。

大神神社(おおみわじんじゃ)<奈良>

「御諸山(三輪山)」をご神体とし、御祭神として「大物主神」を祀る。奈良県桜井市に鎮座。

伊和神社(いわじんじゃ)<兵庫>

大己貴神が国造りを終えて「於和(おわ・終わったの意)」と呟いてこの地に鎮まったとの伝説が残る。

鹿島神宮(かしまじんぐう)<茨城>

御祭神は大国主命に国譲りを迫った「建御雷神」。利根川の対岸には、「経津主神」を祀る香取神宮が鎮座している。

諏訪大社(すわたいしゃ)<長野>

御祭神は「建御名方命」。建御雷神との力比べに敗れ、諏訪の地まで敗走し、この地から出ないことを建御雷神に約束したと伝えられている。

出雲大社(いずもおおやしろ)<島根>

大国主命が国譲りの引き換えとして建立を希望した社。かつては杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれ、古代においては日本一の高さを誇る建築物であった。

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天孫降臨(てんそんこうりん)

「葦原中国」を平定した天照大御神は、統治者として子の「天忍穂耳命」を任命する。


これに対し天忍穂耳命は「天降りの準備をしている間に生まれた我が子『邇邇芸命(ににぎのみこと)』が適任でしょう」と提案する。


天照大御神はこの提案を認め、天照大御神の孫にあたる「邇邇芸命」が統治者として降臨することになる。

邇邇芸命が天から地上に降りようとするその途上、地上の神である「猿田毘古神(さるたひこのかみ)」が「この先の道を先導したい」と申し出、承諾される。


そして邇邇芸命は、「五伴緒(いつとものお・降臨に供する五柱の神々)」および「三種の神器」などとともに、「筑紫の日向の高千穂のくじふる嶺」に降臨された。


※五伴緒・・・天児屋命、布刀玉命、天宇受賣命、伊斯許理度売命、玉祖命。いずれも「天岩屋戸」縁の神々である。


※三種の神器・・・八尺瓊勾玉、八咫鏡、草薙剣。
※他に、思金神、天手力男神、天石門別神が降臨に同行する。

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高千穂神社(たかちほじんじゃ)<宮崎>

「天孫降臨」の伝承地。神社が鎮座する宮崎県高千穂町には、天岩戸神社やくしふる神社など神話伝承が残る神社が点在している。

槵触神社(くしふるじんじゃ)<宮崎>

 高千穂神社から2kmほどの地に鎮座。「高千穂のくじふる嶺」との伝承が残る地に建立された神社。

荒立神社(あらだてじんじゃ)<宮崎>

 猿田彦命が荒木で家を建て住んでいたと伝えられる宮。天孫降臨の伝承地である、くしふる峰近くに鎮座。

霧島神宮(きりしまじんぐう)<鹿児島>

「天孫降臨」のもう1つの伝承地。宮崎県と鹿児島県の県境にそびえる高千穂峰の麓に鎮座している。

霧島古宮跡(きりしまふるみやあと)<鹿児島>

 霧島神宮のかつての鎮座地。高千穂峰が遥拝できる中腹の地に造られた。

椿大神社(つばきおおかみやしろ)<三重>

御祭神は、「猿田毘古神」。猿田毘古神は天孫を高千穂に導いた後、伊勢国(三重県)に戻ったと伝えられている。

猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)<三重>

御祭神は、「猿田毘古神」。伊勢神宮内宮より徒歩10分の地に鎮座。境内には天宇受賣命を祀る「佐留女神社(さるめじんじゃ)」もある。

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邇邇芸命(ににぎのみこと)と木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)

時は経ち、地上に降臨した邇邇芸命は笠沙の岬で美しい娘に出会う。名を「木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)」と言う。


邇邇芸命は、木花之佐久夜毘売の親である「大山津見神(おおやまつみのかみ)」に結婚したいと申し出る。


大山津見神は大いに喜び、木花之佐久夜毘売とともに姉の「石長比売(いわながひめ)」を邇邇芸命の元に送るのだが、石長比売は容姿が気に入らないとの理由で送り返されてしまう。


大山津見神は嘆く。

二人の娘を一緒に差し出したのは、「岩のような永遠の命」と「木の花のような繁栄」を祈念してのことであったからだ。

(天皇の寿命に限りがあるのは、この故事によるものと伝えられている)

邇邇芸命と木花之佐久夜毘売は一夜をともにする。

その一夜の契りで木花之佐久夜毘売は懐妊をする。


邇邇芸命は驚き、本当に自分の子なのかと木花之佐久夜毘売を問い詰める。


木花之佐久夜毘売は、「天孫の御子であれば無事に生まれ、そうでなければ無事には生まれないでしょう」との誓約(成否判断)を告げ、産屋に火を放ち、その火中三人の御子を生む。

「火照命(ほでりのみこと)」「火須勢理命(ほすせりのみこと)」「火遠理命(ほおりのみこと)」の三御子である。

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都萬神社(つまじんじゃ)<宮崎>

神社が鎮座する周辺は、「邇邇芸命と木花之佐久夜毘売が住んでいた」との伝承が残り、宮殿跡や三御子を産んだ産屋跡などが点在している。

富士山本宮浅間神社(ふじさんほんぐうせんげんじんじゃ)<静岡>

 御祭神は山の神である大山津見神の娘である「木花之佐久夜毘売」。ご神体山として富士山をお祀りしている。

新田神社(にったじんじゃ)<鹿児島>

 天孫・邇邇芸尊の墓陵がある神社(墓陵は宮内庁管理)。瓊瓊杵尊が宮殿を築いて住んでいたとの伝説も残る。

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山幸彦(やまさちひこ)と海幸彦(うみさちひこ)

成長した火照命(ほでりのみこと・海幸彦)は海で魚を獲って暮らし、火遠理命(ほおりのみこと・山幸彦)は山で獣を獲って暮らしていた。


火遠理命の提案により、二人はお互いの道具を交換してみることになった。魚を釣ろうとする火遠理命なのだが、兄である火照命の釣針を海中になくしてしまう。


それを知った火照命は火遠理命を責め、いくら代わりの釣針を渡そうとも許しはしない。途方に暮れる火遠理命の元に「塩椎神(しおつちのかみ)」が現れ、小船に乗って海神の宮殿に行くことを提案する。

宮殿に到着した火遠理命は、そこで出会った海神の娘「豊玉毘売(とよたまひめ)」と恋に落ちる。


海神は、火遠理命が天孫の子であることを知り大いに敬い、そして二人は結婚をする。


海神の宮殿での生活はあっという間に過ぎ、三年が経った。


火遠理命は、兄の釣針をまだ見つけていないことを思い出し、海神にその旨を告げる。海神は赤鯛の喉に引っかかっていた釣針を探し、一緒に不思議な力を持つ「鹽盈珠(しおみちのたま)・鹽乾珠(しおひのたま)」を火遠理命に授けた。


火遠理命は海神たちに別れを告げ、鮫の背に乗り故郷に帰る。

そして火照命に釣針を返し、その後二つの珠の力を使って火照命を服従させた。

 

こうして火遠理命は葦原中国の正統な後継者となった。

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枚聞神社(ひらききじんじゃ)<鹿児島>

開聞岳の麓に鎮座。開聞岳はかつて、海神・豊玉彦命の宮地「竜宮界」であったと伝えられている。

龍宮神社(りゅうぐうじんじゃ)<鹿児島>

 「山幸彦・海幸彦神話」が元となった「浦島太郎伝説」の伝承地で、海神宮(竜宮城)に旅立った地とされている。

和多都美神社(わだつみじんじゃ)<長崎>

 山幸彦(御祭神・彦火火出見尊)が辿り着いた「海宮」との伝承が残される地です。

青島神社(あおしまじんじゃ)<宮崎>

 宮崎県にある青島は、「海神の宮から戻った火遠理命が宮殿を建てた場所」と伝えられている。周囲1.5kmの島全体が青島神社の境内となっている。

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鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)の誕生

火遠理命が統治者となりしばらくたったある日のこと、豊玉毘売が火遠理命の元に現れた。


聞けば豊玉毘売は火遠理命の子を身籠っており、火遠理命のもとで子を産みたいのだという。


すぐに浜辺に産屋を作ろうとしたのだが、鵜の羽で屋根を葺き終らないうちに豊玉毘売は産気づく。


豊玉毘売は「出産中は絶対に産屋の中を見ないでください」と火遠理命に伝えるのだが、火遠理命は中を覗き、そしてわが目を疑った。

産屋の中で子を産んでいたのは巨大な鮫だったからだ。


豊玉毘売は恥ずかしさのあまり、生まれたばかりの子をおいて海へと帰ってしまう。

残された子の名は「鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)」と名づけられた。

その後豊玉毘売は、子供の養育者として妹の「玉依毘売(たまよりひめ)」を遣わし、自らの変わらぬ愛を歌に託し火遠理命に伝える。

火遠理命も豊玉毘売への思いを込めた歌を詠み、その後「日子穂穂手見命(ひこほほでみのみこと)」と名乗り、葦原中国を統治した。

時は流れ、成長した鵜草葺不合命は玉依毘売と結婚をする。

子は四人。

末子の名は「若御毛沼命(わかみけぬのみこと)」またの名を「神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれびこのみこと)」と言い、後に「神武天皇(じんむてんのう)」となるのである。

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鵜戸神宮(うどじんぐう)<宮崎>

御祭神は「鵜草葺不合命」で、鵜草葺不合命誕生の伝承が残る土地。社殿は洞穴内にあり、この場所が豊玉毘売の産屋であったと伝えられている。

住吉神社(すみよしじんじゃ)<長崎>

 山幸彦の御子、鵜葺草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の生誕の地との伝承が残っています。

鹿児島神宮(かごしまじんぐう)<鹿児島>

 神武天皇が祖父の「火遠理命」を祀った神社として伝えられている。神話に登場する「高千穂宮」跡であるとの伝承も残る。

石體神社(いわたじんじゃ)<鹿児島>

 彦穗穗出見尊(火遠理命)が都とした「高千穂宮」がおかれていた場所と伝えられている。

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参考書籍
「古事記」岩波文庫
「古事記(上)(中)」講談社学芸文庫
「劇画古事記・神々の物語」バジリコ
「日本書紀(上)全現代語訳」講談社学術文庫
「すぐわかる日本の神社」東京美術
「古事記・日本書紀を歩く」JTBパブリッシング
「日本の神社と神様がわかる本」大和書房
「八百万の神々」新紀元社

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