神社基礎知識
社格等について
一宮(いちのみや)
旧国内で最も有力(社格が高い)とされる神社のこと。
一宮についで社格が高い神社を「二宮(にのみや)」、その次を「三宮(さんのみや)」と呼ぶ。
平安時代~鎌倉時代(11世紀~12世紀)にかけて成立したと言われている。
その起源には諸説あり、「国司が、国内の諸社を巡拝するにあたり、最初に参拝する社を一宮とした」との説が通説。
最初に参拝する神社は、(朝廷や国司が指定したのではなく)各諸国において由緒の深い神社、または信仰の篤い神社が勢力をもち、自然に生じた序列に従い決定したとする説が有力。
<全国一宮一覧>
総社(そうじゃ)
旧国内の有力な諸祭神を一社に祀った神社のこと。
国司は、着任後に国内全ての神社を巡拝することが慣わしであったが、平安時代に国府近くに総社をもうけ、そこを詣でることで巡拝の負担を軽減させた。
式内社(しきないしゃ)
延長五年(927年)に成立した『延喜式』の9巻・10巻に記載のある神社のこと。
※「延喜式」とは、平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)のこと。全50巻で、1~10巻:神祇官関係の式、11~40巻:太政官八省関係の式、41~49巻:その他の官司関係の式、50巻:雑式となっている。
※この「延喜式」の9巻・10巻は「神名帳(じんみょうちょう)」と呼ばれている。
「延喜式神名帳」に記載された神社(式内社)は、全国で2861社。そこに鎮座する神の数は3132座である。
「延喜式神名帳」に記載のない神社は「式外社(しきげしゃ)」と言われる。
官幣社(かんぺいしゃ)・国幣社(こくへいしゃ)
式内社は各種の種別がある。官幣社と国幣社もその一つ。
奈良時代、毎年2月の祈年祭に神祇官(じんぎかん)から幣帛を受ける神社のことを官社と言った。
その後平安時代に入り(延暦17年、798年)、それまで通り神祇官から幣帛を受ける「官幣社」と、その国の国司から幣帛を受ける「国幣社」とに分けられた。
式内社では、官幣社は573社、737座。国幣社は2288社、2395座となっている。
国幣社が設けられたのは、遠隔地の神社では祝部の上京が困難であるためとされている。官幣社の多くは畿内にあり、国幣社はすべて畿外にあった。
※「神祇官」とは、古代の律令制において祭祀を司る官のこと。
近代社格制度における官幣社・国幣社
明治時代に、神社は国家による管理を受けることになった。その際、社格制度も新たに整備が行なわれた。
神社の格は、大きく「官社」と「諸社」に分類され、官社に97社が選ばれた。
官社は、「官幣社(神祇官が祀る神社で、官幣大社、官幣中社、官幣小社に分けられる)」と「国幣社(地方官が祀る神社で、国幣大社、国幣中社、国幣小社に分けられる)」に分類され、いずれも神祇官の所管とされた。
また後に、官幣社にも国幣社にも分類できない官社(国体に功績を挙げた人物を祀る神社など)として「別格官幣社」が導入された。
官幣社・国幣社という名称や分類方法は、律令制の社格(平安時代)にならったもの。
第二次世界大戦後、政教分離によって近代社格制度は廃止されたが、今日でも「旧社格」などの名称で神社の格を表すのに用いられている。
諸社(しょしゃ)
近代社格制度において「官社」とならなかった「府県社」「郷社」「村社」の総称。
「府県社」は府県から奉幣を受け、「郷社」は府県または市から奉幣を受けた。
また、村社にも列せられない神社を無格社とした。
終戦時には、官社は218社、諸社は49715社、無格社は59997社を数えた。
神宮(じんぐう)
伊勢神宮の正式名称のこと。
「伊勢神宮」と呼ばれるのは、香取神宮、宮崎神宮など、社号に神宮の名がつけられている他の神社と区別する、いわば便宜的な通称。
※神宮は日本の神社において別格の存在のため、一宮、官社などには属さない。
現在は皇室に関わりの深い神を祀る、規模の大きな神社に神宮の社号がつけられている。
二十二社(にじゅうにしゃ)
平安時代中期以降、京を中心に朝廷から格別の崇敬を受け、国家の重大事などに朝廷より奉幣に預かった神社があった。その数は段階的に増え、平安時代後期に22社となりその数が固定された。それらの神社の総称。
格式の高い順から、上七社、中七社、下八社と分けられている。